創業の精神

創業者 力武 里彦 (写真中央)

昭和27年、街頭テレビには人だかりができていた。日本は戦後の混乱から落ち着きを取りもどし、人々は娯楽を求めていた。ちょうどその頃、大牟田市に映画劇場をオープンした。当時ラジオで人気を博していたドラマ「君の名は」が映画化され、多くの人が劇場に押しよせた。映画はすぐに日本の娯楽の華となった。そんなある日、台風の影響で汽車が不通となり、フイルムが届かなくなった。台風の影響で上映できませんということは簡単だったが、何とか人々の期待に応えたいと思い、台風の中を歩いてフイルムを取りに行くことにした。水かさの増した筑後川の鉄橋の上を、重たいフイルムを担いで渡った。そこまでしたのは娯楽の提供に生きがいを感じていたからだ。娯楽というものは、人の心を楽しませ慰める。人が生きていくうえで必要なものであり、明日への活力となる。

数年後、世の中はパチンコフィーバーブームに沸いていた。ある日町を歩いていると、パチンコ店の新装開店に長い行列ができていた。映画と同じように、人々は非日常の楽しさを求めている、そう強く感じた。パチンコという商いにチャレンジしてみようと思った瞬間だった。昭和42年、久留米市にパチンコ店を開業する。活気ある店内を見つめていると、胸にこみ上げるものがあった。これからも熱心に、一途に、娯楽産業で生きていく、そう心に誓った。

「人々の楽しみとなり、心の活力となる娯楽の提供を通して、社会に貢献する」

創業者 力武 里彦の歩み

明治37年、熊本県天草町大江にて堀田嘉平の5男として生まれる。
小学校を卒業してすぐに上海船舶甲板員となる。
昭和8年、食料品店の経営を手始めに様々な商売を経験。
昭和27年、50歳の時に映画という商売に出会い、セントラル映画劇場開館。
昭和42年、久留米市にパチンコ店セントラル会館を開店。
86歳で亡くなるまで、趣味も持たず、熱心に、一途に、その生涯を娯楽産業に捧げた。