この対談は、弊社が支援しているギャンブル依存の回復施設「ワンデーポート」の要請により、2012年3月13日にワンデーポート施設長の中村 努さんが弊社を訪問され行われました。対談の模様は「ワンデーポート通信」第140号に掲載されました。
力武さんとお会いして10年以上経過しますが、この10年余りの出来事を振り返りながら、力武さんの今お考えになっていることをお聞かせ願えたらと思っています。 1990年代の後半にパチンコ店の駐車場で赤ちゃんが熱中死する事故が多発し、社会問題化しましたが、力武さんはどのように考えられていましたか。
ものすごく大きな問題だと思っていました。私が依存問題について取り組もうと考えたのは、このことがきっかけだと思います。
パチンコ店は全国各地に1万数千軒あって、力武さんのお店で起きたわけではなかったのでしょうから、他人事で終わってもよかったのではないでしょうか。
2001年に社長になったのですが、経営というのは目的意識が明確になっていなくてはいけないと思っています。パチンコが世の中のためになぜ存在するか、そして社会に対してどういうことが出来るのだろうか。
そして、お客様に評価をいただいて利益を上げていったときに弊害となるものがないかのチェックが必要です。そういう意識で見たときに、熱中症の事故とか依存問題というのは、たいへん大きな課題だと思いました。
お店のご意見箱にも「1日で年金を取られた。こんな苦しい切ない生活…借金もする。」といった投稿がありました。何かしなくてはいけないと思いました。当時から取り組む方向性はなんとなく見えていました。カジノ経営企業ハーラーズ・エンターテイメント社が、「全米ギャンブル問題対策審議会(The National Council on Problem Gambling and Affiliated State Council)」のメンバーとして、24時間体勢の無料電話相談制度を立ち上げていたことを知っていましたから。
ただ、どのようにしていいかわからなかったから、ワンデーポートに電話して中村さんと話をしたわけです。敵対する関係だと思っていたので電話するのにはためらいもありましたが、はじめから友好的な会話ができて、嬉しかったですし、話し合いながら目的を共有できるのではないかと思いました。
2001年のはじめ頃だったと思うのですが、その当時のワンデーポートは、利用者も少なかったですし、成果も出ていなかったわけです。「依存症は病気で、自分の経験がすべてのギャンブルにハマっている人の回復に役立つ」と思っていましたから、体験談を聞いてくださいとしか言えなかったのだと思います。パチンコ業界がこの問題に関心を持つということに関しては、大阪商業大学の谷岡一郎先生の本で、アメリカではカジノの経営者側が依存問題に取り組んでいることを知っていました。だから、力武さんから電話をもらったときは嬉しかったです。
中村さん、嬉しそうだったですね(笑)。その後にワンデーポートのポスターを店内に貼ることになりました。パチンコ店の前で若者が頭を抱えているイラストが書いてあったポスターです。そしたら、そのポスターを見た人からワンデーポートに電話があったのですね。私は啓発のつもりで貼ったのに、うちのお客様にも依存している人がいると思い、一つのお店だけでやっていてもダメだと思いました。その当時に在籍していた九州地区遊技業協同組合の青年部会で話をしたら、皆さんすごく理解力がある方で、「それはいいね」ということを言っていただきました。その後の2002年4月、中村さんと精神科医の先生を招いて、大分県遊技業協同組合青年部主催で依存症についてのセミナーを開き、鹿児島、長崎でも青年部会が中心になり、同様のセミナーを開きました。たくさんのパチンコ業界誌が取り上げてくれたことはありがたかったです。そこで、業界全体に問題提起されたのだと思います。
はじめて力武さんとお会いして、11年が経過するわけですね。力武さんは、36歳で、私は33歳だったわけですよね。
力武さんはじめ青年部の方はとても熱心でした。それと、私を1人の人間として同じ目線で話をしてもらったことがとても嬉しかったです。鹿児島の青年部の代表の方はセミナーの後、パチンコ店を継ぐことへの葛藤や、パチンコ店で働く人の地位向上のためにライセンスを作りたいという話をしてくれました。また、長崎の代表の方は、東京に行くので、会って話を聞かせてくださいと連絡があり、渋谷でお話したことがありました。ほんとうに皆さん、真剣でした。そうした出会いから九州地区のパチンコ業界からのワンデーポートへの支援がはじまり、力武さんや、長崎のピースパークさん、東京の指田さんはずっと支援続けていただいています。ほんとうにあり難いと思っています。
2003年の1月に福岡で開かれたワンデーポートのフォーラムにも青年部の人たち7人くらいで参加しました。体験談がすごくよかったです。一緒に行った青年部の仲間も、これは依存問題に取り組まなくてはいけないと実感しました。私たちはお客様を見ていて、無理して打っている、問題を抱えているのではないかと想像はしていましたが、ワンデーポートの人の体験談を聞いて、現実はそこまでいっているのかと愕然としました。
そのフォーラムで、中村さんに急にステージに上げられて「依存問題に取り組むことをライフワークにします!」とつい言ってしまいました。
そして、2003年4月に全日本遊技業協同組合連合会(以下全日遊連)のぱちんこ依存問題研究会がはじまりました。そして、2003年11月にパチンコ店で意識調査が行なわれました。
その調査の中で自分はパチンコ依存だと答えた方が3割いて、その中の8割が相談先を知っていなかったということで、私たちは相談機関が必要だということを改めて再認識しました。ただ、それをどうやって作ればよいのかという知恵がなくて、中村さんに相談して、西村直之先生を紹介されました。西村先生がすぐに「リカバリーサポート・ネットワーク構想」というのを私たちに提案されて、研究会のメンバーは「これだ!」ということになりました。この構想を実現するために全日遊連内の理解をどう深めていくかということになりました。反対する方もたくさんいましたが、2年をかけて形になっていきました。2005年8月に※リカバリーサポート・ネットワーク(以下RSN)が発足し、2006年4月に電話相談を開始しました。当時の全日遊連のトップである山田理事長がこの問題をなんとかしなくてはいけないという思いがあったことが大きかったと思います。
西村先生でなかったら、実現できていないと思います。「ネットワーク」という発想は2004年くらいから西村先生は言っていました。今でこそ、ワンデーポートでも依存問題解決のためにはネットワークが重要だと思っていますが、当時は、私もネットワークという意味をわかっていなかったと思います。西村先生の考え方は先を行っていたのだと思います。
私もそう思います。ただそれから先がけっこう大変でした。
物事を自分だけの視点で見ることでは活動は広がっていかなかったですね。根回しとか相手の立場に立つとか、相互理解といった調整能力が問われました。私も正論を吐いて人を攻撃するほうですから苦労しました。相手の立場になって理解し合うことは、すべての物事に共通しているのかもしれません。
RSNの活動がはじまって、パチンコホールに啓発や相談先のポスターを貼るというのは、相互理解のうえで非常に意義深いことだと思います。
公営ギャンブルや宝くじは、ハマっても運営側は「自己責任です。のめり込んでいる人たちがいても私たちは関係ない」というスタンスでやっているわけですから、パチンコ店でポスターを貼って、電話相談をしているのは、すごいことだと思います。
“私がこれからやっていきたいのは、パチンコ店のチラシにも、RSNの情報を載せることです。ご家族の方はパチンコ店に入られませんから、チラシに載せるとご家族の目にも触れるので、とても意味があると思います。最近、1円パチンコが流行ってきて、射幸性が問題にならなくなって、「依存問題はもう大丈夫でしょ」という雰囲気もあります。でも、西村先生とはその考え方は危険ですねと話をしています。問題を抱えている人がパチンコ店にいることは変わっていないわけで、長時間遊技の問題にもつながっていくと思います。ポスター掲示とチラシへの掲載をより多くのパチンコホールに行ってもらいたいと思います。
ワンデーポートの立場から見ると、電話相談で解決がつく人もたくさんいるとは思いますが、ワンデーポートのような施設のプログラムが一定期間無料で受けることができると、もっとたくさんの人が助かると思っています。残念ながら、ワンデーポートを利用するにはお金がかかります。RSNに電話して「お金がなくて明日からどうして生活したらよいかわからない」という人に、ワンデーポートは勧めることはできないのです。ワンデーポートのプログラムをパチンコ業界からの支援で無料にできれば、出口の部分が広がるように思っています。
続いて発達障がいについておうかがいしたいのですが、ワンデーポートでは当初「依存症は病気で医療の問題でもある」と言ってきました。2004年頃から発達障がいに向き合う中で、医療の問題というよりも、社会の問題で、その人の生活や人生の問題という視点で考えるべきだと思うようになりました。ワンデーポートの活動はNPOですが、社会の問題に目を向けることが不可欠だということに気づいたわけです。そうしたときに、力武さんやパチンコ業界の皆様が、社会に向き合って活動をされていて、共通点があることに気づきました。
発達障がいについては、力武さんとは折に触れ話をしますが、とても理解されていて、常に社会を見て仕事をされている方には同じように見える課題なのかなと思っています。力武さんのような雇用する立場にある人の理解が進めば、発達障がいがある人にも生活がしやすくなるのではないかと思っています。現時点で、発達障がいについてのお考えを聞かせてもらえないでしょうか。
2年前に東京都遊技業協同組合の助成で、ワンデーポートのフォーラムに呼ばれたとき、前泊して西村先生と一緒にワンデーポートの利用者の皆様とお話することがありました。そのときに、西村先生と中村さんから発達障がいのことを聞いたのがはじめてだと思います。発達障がいについて興味をもち、マンガの『光とともに』を読んだりしました。発達障がいという切り口で世の中を見てみるとすごくわかりやすいということに気づきました。経営する立場から見ても「何でこの人はこれができないのだろう」ということはたくさんあるわけです。それを発達障がいという視点で見ると、問題は社会に広く横たわっていると感じます。
私は発達障がいという視点を持って、楽になったような気がします。
私も楽になりましたよ。
たとえば、一つひとつ指示をしなければ動くことができない人がいたとして、どうしてなのだろうと思うわけです。その人は指示を出せば完璧に、ふつうの人ではできないような繊細で丁寧な仕事をします。だけど、指示がないと仕事をしないのです。発達障がいを知らなければ、指示を出さなくても出来るようになることを要求して、どうしてこの人は、いつまで経っても指示を出さないとできないのだろうと怒りを感じるわけです。でも、発達障がいという視点を持っていれば、その人は指示さえ出していれば良い仕事をすると思えるわけです。マイナスがプラスになるような感じがします。
うちのお店で働いている人にも「君はAD/HD傾向だよ、この本を読んでみて」と言ったりします。自分という人間の特性をよく知る必要があると思っています。
悩みの原因は何なのだろうかとか、人とコミュニケーションがとれないとしたらどうしてなのだろうと考えることが大切です。ワンデーポートという場所もギャンブルということが切り口になっていますけど、自分の本質を知る機会を得ているのだと思います。でも、こちらから言うとはじめは当たり前ですが傷つくわけです。「僕は障がい者ですか」と。発達障がいというネーミングはわるいですね。障がいじゃなく、特性として理解するとずいぶん生きやすくなったり、問題解決の方法に向かうと思います。本を薦めたりするときは、君にレッテルを貼るのではないよということを説明します。自分は人と違うのかと苦しむこともありますが、理解を深めていくと楽になっていきます。AD/HD傾向がある人はスタッフみんなに言いなさいと言っています。「たまに弾けてしまうこともありますが、わるく思わないでくれ」と言うと、周りも優しい目で見てくれると思います。昔なら職人さんの道に行って、ワンデーポート通信で中村さんが紹介していた落語の話ではないですが、厳しくても優しい愛情溢れる親方がいて社会が機能していたのだと思います。でも今は価値観が多様化して、みんなが生きるのがたいへんで、社会全体がぎすぎすしているように思います。だから、発達障がいへの理解が広がっていくことがたいへん重要だと思います。
いま社会では発達障がいの支援ということでは、障がい者手帳を取りましょう、障がい者雇用でいきましょうということになってしまいます。ほんとうは、力武さんのような理解ある社長さんがいれば、本人を障がい者としてみなさなくても仕事ができるかもしれないと思います。私は、発達障がいを理解した社会というのは、そういう社会だと思っています。しかし、ワンデーポートでやっている仕事は、手帳を取ってもらったりするなど、障がい者の枠組みで支援することなわけです。そこには、自己矛盾もあるわけです。発達障がいがある人を作り出すことに加担しているのではないかと思うこともあります。
中村さんがおっしゃることが理想です。でも愛情溢れる親方の時代に戻れたらいいですけど、実際には戻れませんから。依存問題もどれだけ理解が得られたかわからないですが、言葉は広がってきましたよね。同じように発達障がいも言葉や概念だけが先行して広がるということで、今はいいのではないでしょうか。そこから、本質的な理解に進んでいく人たちがいると思います。就活している学生さんを面接していると、「この人はAD/HD傾向が強いな」とか分析しながら見ています。そうすると、もしこの人が入社したらこういうことに気をつけようと考えます。こういうアドバイスをすれば伸びていくだろうとイメージができます。そういう理解が進んでいったらいいなと思います。ただ、「障害」という言葉はやめてもらいたいです。西村先生が「依存症」ではなく「依存問題」と変換したように、言葉は大事ですよね。
東京の日本橋で大人の発達障がいを専門に扱っているランディック日本橋クリニックの林先生は、「発達の問題」と言っています。時代によって、障がいとしなくてはならない特性を「障害」と呼ぶのはおかしいと言っています。
うちは保育園をやっていて、これは発達の問題があるのかなと思うことがありますが、「発達障がい」と言うと、母親がものすごく拒否します。子どもにとって最大の理解者である母親が、発達の問題を理解していたら、その子はすごく生きやすくなると思います。
私は発達の問題を知ってから、人間を見る目が優しくなったような気がします。とんでもなく失礼だなと思う人がいても、発達の問題かもしれないと考えると理解できることが増えたような気がします。世の中に発達障がいの理解が広がれば社会が優しくなると思います。
適材適所という言葉がありますが、少し前の人たちは、人間は一人ひとり違うということが当たり前にわかっていたのではないかと思います。兄弟がたくさんいれば、長男は寡黙で、次男はやんちゃで、長女は冷静でというように、知らず知らずのうちに生まれつきの特性の違いを知る機会があったのだと思います。少子化で、きょうだいの中でも色合いが違うということを学ぶ機会がなくなったのではないでしょうか。教育の問題もあるかもしれませんが、「みんな一緒」という思いがどこかであるのではないかと思います。
就職活動をしている学生さんを見ていて、価値観が多様化しているので、ごく身近な周りの人の評価が自分と直結しています。だから、自分を抑えているのです。ほんとうの自分をさらけ出したときに、周囲の評価が著しく下がることが怖いのだと思います。昔は人間味にあふれていて、ガキ大将みたいな人がいじめられっ子を助けてあげたりといったことがありましたが、いまは少数の概念に合わないとグループからはじき出します。
我々の社会では価値観の多様化は仕方のないことですが、もっとも根本的な人間らしさ、思いやりという視点が教育から欠落している気がしてなりません。
最後に力武さんにとって、パチンコとは何かお聞かせいただきたいのですが。
パチンコは大衆娯楽であってほしいと思います。昔みたいに子どもにお菓子を持って帰って、「お父さんすごいね」というような世界がいちばん良いと思います。巨大産業となって、射幸性が上がって、機械代も高くなって、設備コストがかかるようになりました。大衆から乖離してしまったと感じています。原点回帰ではないですが、戻すという考えの人がいても良いのではないでしょうか。うちはそっちを目指しています。今後は低貸玉化がどんどん進んで、お客様にとっては良いことですが、私たち中小企業は1円パチンコで差別化して、大手と住み分けしてきたものが同質化していくわけですから、経営はますますきつくなっています。消費税の問題もありますし大変です。 しかし重要なのは、私たちが世の中に適正な形で存在することだと思います。1円パチンコにして、儲けは少なくなったし、私の給料も減らしました。経費削減というようなよその産業で当たり前にやっていたことが、やっとパチンコホールでも真剣にやっているわけですが、それが健全な姿だと思います。1円パチンコの出現で私自身は心苦しさが少し軽減されました。お店の中で、4円パチンコをしている人に「1円パチンコにしたらどうですか」と言えるようになったわけですから。4円しかない頃には、来ないでくださいとは言えないですから、そういう意味では今は楽になりました。又、パチスロの4号機が使えなくなったことも当時の私たちには大打撃でしたが、良い方向に向かっていると思います。4号機で最も射幸性のあったミリオンゴットという台が5号機でも復活しました。4号機ほどではありませんが、5号機の中では、射幸性があります。でも、どこのお店でもお客様がついていないのです。要は、無理して打てる時代ではなくなったのです。消費者金融も貸さなくなったし、給料も低くなっているわけです。パチンコと世の中がうまく合ってきたなと思います。
4号機にハマっていたような破滅的な人たちは、ワンデーポートに来なくなっています。アルコール依存症の考え方をあてはめると、一度依存症になったら、死ぬか、アルコールをやめて回復するか二つにひとつです。4号機にハマっていた人が、破滅的に競馬や競輪にハマるのではないかという考え方もできます。でも実際はそういう話はあまり聞きません。アルコール依存と、ギャンブル依存の違いがそこにあって、健全な生活に戻ることができる人も一部にはいるのではないかと思います。
そうであればいいなと思います。
これからの依存問題の取り組みのビジョンをお聞かせいただけないでしょうか。
RSNが継続することが力になっていくと思います。依存問題に関していえば、RSNの継続が絶対です。依存問題とは少し違うかもしれませんが、昨年の3.11以降にパチンコ業界がバッシングを受けました。世の中にもっと理解してもらえるような活動をしていきたいです。具体的には、養護施設の支援をやりたいと思っています。福岡の青年部が子ども絵画コンクールをやっています。福岡県内の養護施設の子どもたちに「未来の夢」という題で絵を描いてもらいます。その絵を、飾るわけです。「僕の絵があそこに飾ってある」と喜びます。そういうことが業界全体でできないかと思っています。その子の親たちがパチンコ店に出入りしているかもしれませんし、発達障がいがある子もいるかもしれません。そういう社会貢献をやりたいです。 私の活動は草の根だと思っていて、養護施設の支援を10年、20年続けるうちに何かが変わっていくものだと思っています。学生さんを相手にした会社説明会とかで、給与とか待遇面ではなく、パチンコ店なのだけど、こういうことをやりたいと語ると、「パチンコ店の見方が変わりました」と言われることもあります。私がやっていくのはそういうことなのではないかと思います。パチンコ店の経営者の中にも良い考えを持っている人はたくさんいます。マスコミがパチンコをバッシングしても、そういう活動をしていけば分かる人は分かってくれると考えています。
(2012年3月13日 セントラル カンパニー内で)
リカバリーサポート・ネットワーク(ホームページから)
リカバリーサポート・ネットワークは、全日本遊技事業協同組合連合会(以下全日遊連)が2003年4月に発足させた「依存症研究会(現ぱちんこ依存問題研究会)」の議論から設立されました。遊技業界が自らのめりこみ問題に取り組み、社会に役立つサービスを提供するため、2006年4月に第三者機関ぱちんこ依存問題相談機関「リカバリーサポート・ネットワーク」が設立されました。2009年10月に特定非営利活動法人となり、より公益性の高い活動を目指し、活動を行なっています。